釜石・宮古間のJR山田線がまだ復旧されておらず、道の駅やまだからバスで、山田町の市街地へ入る。今は、バス停の位置も当てにならない。一帯は復興工事の真ただ中で、その工程によってバス停があちらにこちらに移動するからだ。震災から4年半を経て、山田町の市街部はまだまだ更地ばかりが目につく。「これでも随分進んでいるほうなんですよ」と語るのは、新生やまだ商店街協同組合の理事長であり、自ら被災ガイドも務められる昆尚人さんだ。「山田町から伝えていきたいこと」をお話しいただいた。

 

山田町役場から御蔵山まで被災した町なかを歩きながら
震災ガイドさんそれぞれの被災体験を聞く

新生やまだ商店街協同組合の理事長・昆尚人さんが経営する写真店を探して、市街地をさまよう。電話して道を尋ねようにも、伝える目印がないのだ。ようやく通りがかった方に教えてもらい、仮設の「写真屋KON」にたどりついた。

「ガイドさせていただいた県外の方も一様に『もっと町づくりが進んでいるかと思っていた』と驚かれますね。これでも進んだほうなんですよ。しかし山田町は広範囲に被災しているうえ、人手や資材の不足で一気にというわけにはいかないようです」と昆さん。

震災前にあった6.5mから8mの防潮堤を越えて町を襲った津波は、市街地の約50%を水に沈め、823名もの犠牲を出した。「私たちは過去に二度、大きな津波を受けながら、その教訓を忘れてしまっていた。だから、今度こそは忘れちゃいけない、忘れてほしくないと思うんですよね。次世代のために語り伝えていかなくてはと思うんです」。昆さんが理事長を務める新生やまだ商店街協同組合では、震災を風化させないため、地域住民による被災ガイドを行っている。

山田町には、陸前高田市の「奇跡の一本松」や、宮古市田老の「たろう観光ホテル」のような象徴的なものが何も残されていない。ガイドとの待ち合わせ場所となる山田町役場から徒歩で、市街地を見てまわりながら、それぞれのガイドが自らの被災体験を語る。「バラバラに避難した家族が3日後にようやく再会できた人もいますし、仮設店舗ができるまで半年間仕事のなかった人もいます。私自身、震災当時、臨月の妻がいて大変な思いのなかで、一ヶ月後に無事に出産したことが強く心に残っています。宮古市や釜石市といった大きな町のようすは、テレビでもよく取り上げられましたが、山田町の情報はなかなか報道されることがなかった。だからこそ、被災当時の住民の苦労や山田町の復興のようすを一人でも多くの方に伝えていきたいと考えています」と昆さんは語る。

被災直後の山田町市街地

被災直後の山田町市街地

ガイド中の昆尚人さん

ガイド中の昆尚人さん

 

御蔵山に設置されたJR陸中山田駅の大時計が
後世に震災の教訓を伝え続けて

山田町の震災語り部ガイドでは、中高生たちなどの団体はもちろん、たった一人でも家族連れでもガイドを引き受けている。「私たちは津波で被災しましたが、昨年の広島の土砂災害など、全国各地で大きな自然災害が起きています。津波に限りません。避難勧告が出たら早い段階ですぐに安全な場所へ避難すること。うちは大丈夫、まだ大丈夫と考える油断が命を奪うことになります。山田町ではせっかく高台に避難したのに、第一波が防潮堤を越えなかったことから、自宅に帰り、10分後にきた最大波で犠牲になった方々がいます。誰だって、いつ、どこにいる時に、何があるかわかりません。だから、常日頃からすぐに避難するという習慣をつけることが必要なんです。私はガイドをしながら、皆さんにそのことを必ずお話しています」。

市街地のなかにこんもりとある御蔵山へ、昆さんに案内していただいた。名前に山とあるが、ちょっとした高台である。慶長三陸地震(1611年)を教訓として、津波から年貢米を守るために山土を削って築いたとされるものだ。1600年代に、年貢米を貯蔵する蔵が建てられ、明治時代には山田港運上所や山田町役場(昭和31年に役場は現在地に移転)が置かれた。そして、今回の震災当日も、御蔵山に避難した三十数人の住民は助かっている。震災の一年後に、震災記念碑「鎮魂の鐘」と、JR陸中山田駅の駅舎に高く掲げられていた大時計がこの御蔵山に設置された。大時計の前で震災前のJR陸中山田駅の写真を見せながら、昆さんは「この駅舎は津波をかぶっただけでなく、その後の火災で焼けてしまいました。震災から1年も経たないうちに駅舎は取り壊され、駅前にあった木もなくなったので、昔の町並みを思い出す手がかりが失われつつあります」と寂しそうに語っていたのが印象的だ。大時計の針は、津波に襲われた3時27分を指している。炎に焼かれた痛々しい姿が、震災の教訓を長く後世に伝える役割を果たすのだろう。

被災したJR陸中山田駅

被災したJR陸中山田駅

 

避難しやすい新しい山田町をめざして
区画整理や道路整備が始まる

山田町の新しい町づくりはスタートしている。住宅が建てられないことになった沿岸の国道45号沿いには現在、昆さんたちの新生やまだ商店街が建設中で、2015年12月にオープン予定だ。避難しやすい町を目指して区画整理も行われる。車での避難もスムーズにできるよう道もできるだけまっすぐ、道幅も広げられるそうだ。避難の時、車を使わないほうがよいとされているが、山田町では、高台に避難してきた車が、被災後に発生した火災から逃れるための移動に役立った例もあると聞いた。

御蔵山から望む市街地の更地が痛々しいが、町の再生には希望もある。「私にもまだ小さい子どもたちがいますが、次世代の子どもたちにこれから新しく作られていく町をしっかり見ていてほしいと思いますね」と語る昆さんの言葉が心に残る。

建設中の新生やまだ商店街の完成予想図

新しい町づくりが進む山田町。写真は建設中の新生やまだ商店街の完成予想図

 

【震災語り部ガイド】

●内容

被災ガイド/町役場から御蔵山まで往復40分 ※その他要望に応ず)

語り部タクシー/タクシーに乗りながら町内の被災地を案内。

語り部飲食店/食事をしながら、震災当時のようすを店主が語る。

●活動期間・時間

通年

●料金

被災ガイド 3時間まで3,500円(※ガイド1名分)

語り部タクシー 1時間 5,100円

語り部飲食店 30分 1,000円(※食事代別)

●予約方法

1週間前までに電話またはファックス、メールにて予約

●問合せ・予約

新生やまだ商店街協同組合

TEL.&FAX 0193-77-3732

e-mail info@shinseiyamada.com

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